9月 15 2007
ガソリン下がる!
今週月曜日の午後、石油会社直営店で給油しました。店頭表示価格が139円/Lと、先月に比べ2円下がってました!
セルフでカード支払いにしたら、請求は136円+スロットマシン値引きで1円引き=135円で、前月に比べて3円安。
「ガソリン価格地図」はここをクリック!
9月 15 2007
今週月曜日の午後、石油会社直営店で給油しました。店頭表示価格が139円/Lと、先月に比べ2円下がってました!
セルフでカード支払いにしたら、請求は136円+スロットマシン値引きで1円引き=135円で、前月に比べて3円安。
「ガソリン価格地図」はここをクリック!
By babehattori • 生活 • 0
9月 13 2007
台所でトラブルが続発してます。一つ目はお米に虫がついたこと。ある日、米びつを開けたら蛾がいました。Webで調べたところ、「ノシメマダラメイガ」という名前らしいです。この幼虫も沢山見つかりました。幼虫は取っても取っても発生(?)してきます。
昔から、いい女ほど悪い虫が付くと言われます。お米の業界でも、おいしいお米ほど虫が涌くというのが定説だそうです。(さすが、新潟産こしひかり!)炊飯すれば、死んでしまい、毒でもなさそうなので、お米は捨てずにおきます。
二つ目は長らくご無沙汰(?)していたネズミです。テーブル上の食べ物に異変を感じたので、注意してみると、やはりネズミでした。こちらは台所を締め切り、ネズミ捕り器、粘着シート、毒餌を設置したら、粘着シートに貼り付いたネズミが今朝捕獲されました。小さい子供ネズミだから、簡単に捕まったのだと思います。こちらは短期決戦で解決!
By babehattori • 生活 • 0
9月 11 2007
今回の「メガネ事件」による出費(前払い)は;
レンズ 42,000円
耳あて部品 1,050円
チェーン 1,050円 .
合計 44,100円
フレームの矯正はメーカーではなく、Kメガネで対応するので費用は発生しませんでした。
チェーンはトラブルに直接起因する費用ではないですが、今後メガネの「ちょっと置き」を避けるため、自宅にいる時はメガネにチェーンを付けようと考え、買いました。店員さんが言うには、チェーンでぶら下げたメガネを自分の胸と物の間に挟んで破損することがあるそうです。(今度はこれかな?)
レンズは今までと同じバリラックスのプラスチック調光レンズですが、価格が25,200円(一枚あたり)から21,000円に下がってました。上位モデルが出たことによる調整値下げとのこと。
本題です。検眼の結果、遠用(近視)の度数が下がってました。特に左眼はSPHが−4.75から−3.75へと4段階(1段階は0.25dpt)も良くなってました。(視力強化ヨガのお陰?)
一方、老眼はADDが+2.00から+2.25へと1段階進んでました。いずれにしても、合わないレンズを暫く使っていた訳で、『そろそろレンズを変えなよ』と蛾次郎が教えてくれたのかも知れません。
By babehattori • 生活 • 0
9月 10 2007
行方不明となっていたメガネが無残な姿で発見されました。
捜索活動を再開して直ぐのことです。蛾次郎の小屋の脇に目をやると、地面の上にメガネのフレームらしきものが。「あった!」と喜んだのもつかの間です。
(1)左右のレンズがありません。(レンズは2mほど離れた所に、破損状態で見つかりました)
(2)フレームが変形してます。
(3)ツルの先端の耳に当たるプラスティックカバーがかじられてます。ツルも変形。
状況からみて、蛾次郎の仕業に100%間違いありません。昨夜、スポーツクラブの仲間が「蛾次郎が食べたかも?」と冗談を言ってましたが、その通りでした。
Kメガネに行って、検眼し新しいレンズを注文、フレームの修理も依頼してきました。
日ごろ無駄使いを抑えるように心掛けているのですが、大きな出費で帳消しです。
それにしても、神様、仏様です。足を向けて寝れません。
犯人(犬)の蛾次郎は「メガネ拉致殺人罪」で一食抜きとしました。
By babehattori • 生活 • 0
9月 9 2007
昨日の夕方、外出から戻って、庭で自転車のチューブ交換をしました。手元作業をする時はメガネが無いほうが良く見えるので、自然とメガネを外すことに。そのメガネを不用意に土の上においては又踏みつけると思い、近くの樹木か何かの上に載せたような気がします。30分ほどで作業終了、さてメガネはと探したのですが、どこにも見当たりません。程なく日没となりました。家の中も一応探したのですが見当たらず...(困)
念のため、外出先の本屋に電話で問い合せをしましたが、ないとの返事。その後行ったスーパーですが、良く考えるとメガネなしでは値札が読めません。したがって、やはりメガネは庭か家の中にあるということになります。
幸い予備のメガネがあったので、それをかけて今朝から「捜索作業」を開始しましたが、現時点で未発見です。(←悠長にブログを書いている場合ではありません!)
メガネのレンズ(5万円)はそろそろ検眼をして新しいものに変えようと考えていたところなので諦めもつきますが、フレームは去年の1月に買ったかりのK14ホワイトゴールド(税込価格7.8万円)なので、悔しいです。
神+仏頼みをして、今から捜索再開!!
By babehattori • 生活 • 0
9月 5 2007
昨日は昼前から新舞子マリンパークへ出かけてきました。ここはお気に入りの場所で、今年5回目です。暑かったためか、9月というのに思ったより人がいました。
既に海は遊泳禁止となっており、入ることができません。芝生の上で寝転がって夏の名残りを楽しんできました。
By babehattori • 生活 • 0
9月 4 2007
月曜日に赤玉子の安売り(1パック97円)をするスーパーが近くにあります。(現時点では「ありました」が正しい表現ですが...)小型店ですが、思い切った安売りをしたり、野菜が安いので時々出かけてました。
昨日(月曜日)、玉子を調達するため久しぶりに出かけることに。念のため、朝刊に入ってくるチラシを見ておこうと探したのですが、この店のチラシがありません。ひょっとして「閉店?」と思いつつ、店に行ってみると、推測通り「閉店しました」の貼紙がありました。
近隣に大型スーパーがどんどん進出してきているので、客が減り、店を閉めることになったのでしょう。規模は異なるけれど、大丸・松坂屋の経営統合スタートのニュースと重なります。
By babehattori • 生活 • 0
9月 2 2007
過日、「40年前に移民船から海に身を投げた女性が残した幼子」について紹介しました。残された幼子の一人で当時2歳だった女性の掲示板への書き込みがきっかけで、彼女達が元気で暮らしていることが判明、皆驚いた次第。(7月14日、24日付ブログ参照)
その後ですが、ブラジル、日本始め世界各国にいるML(メーリングリスト)仲間から次々と情報が寄せられました。当時の様子を知る移民船乗務員の話、本人たちが持っていない写真、事件を伝える新聞記事なども手元に届いたようです。これも驚きです。インターネット社会ならではの出来事でしょう。
(嬉しい話: 若くして亡くなったお父さんのお墓が現地で見つかったとのことです。)
By babehattori • 生活 • 0
9月 1 2007
早朝高血圧タイプで、とりわけ起床時の最低(拡張期)血圧が高いです。しかし、今朝は127/79。最低血圧は数回計っても80以内でした。狐につままれたようで、ちょっと不思議です。
外に出てみると、日差しは強いけれど、空気がサラッとしています。爽やかな秋風もふいてます。気持ちよく9月を迎えました。
By babehattori • 生活 • 0
9月 16 2007
ちょっといい話−記事になりました
このブログで紹介した「ちょっといい話」ですが、同じ話題をブラジルの日系紙が取り上げてくれました。さすが新聞記者、話を上手く纏めてます。
来年はブラジル移民100周年。礼子さん、美代恵さんたちの念願である、ご両親が奮闘され、自分たちが生まれた移住地訪問が実現されることを願ってます。
ニッケイ新聞 2007年9月11日付
63年第2トメアスー移住地入植者=母親が帰国船上から投身自殺=3遺児日本で健在=HPで同船者と〃出会い〃=「慰霊供養に来伯したい」
一九六七年、トメアスー移住地で夫に先立たれて途方に暮れた若妻は、国援法適用を受けての帰国途中、幼児三人を残して、あるぜんちな丸から海に身を投げた――。悲惨な移民の生活を彷彿とさせる悲話だが、このほど、孤児となった三兄姉妹が今も日本に健在であることがわかった。あるぜんちな丸第十二次航(六二年)の同船者らが作るホームページ『私たちの四十年』がきっかけとなり、日本にいる富田裕之さん(45)、富田礼子さん(42)と美代恵さん(40)、出来事に居合わせたスチュワーデス、同船者らが連絡を取り合い、当時の状況やその後の経緯などを調べている。礼子さん、美代恵さんは「亡き両親の慰霊供養に渡伯できれば」と、将来の希望を話している。
一九六三年に、富田昭一さんと再婚して第二トメアスー移住地に入植した富田敏子さん(当時21、栃木県出身)。六七年五月、本格的にピメンタの採取を始めようとしていた前年に昭一さんを肝臓ガンで亡くし、敏子さんは、裕之さん(当時5つ)、礼子さん(当時2つ)、美代恵さん(当時9カ月)の三人の子供を抱えて生活に困り、帰国を決めた。
同年八月七日、一家を乗せたあるぜんちな丸はベレン港を出港。その四日後、敏子さんは、子供らに「こちらに来るんじゃありませんよ」と言い、財布を渡すと、サンダルを並べて船の後部甲板から投身した。遺体は二時間後に引き上げられ、レシフェ沖だったため、レシフェ総領事館などの手で同地に埋葬された――。
それから時は流れ、今年の七月十日。富田礼子さんが、偶然にもホームページ『私たちの四十年』を見つけ、嬉しくなり投稿を行ったことで、今回の〃出会い〃が始まった。
礼子さんは「私の両親は昭和三十七年頃にブラジルに移民として渡りました」と自身の生い立ちを紹介し、「今でこそ日本で元気に暮らせるのも、ブラジルで頑張った父と母のお陰と感謝しています。当時の父と母が暮らしたブラジルに行くことが今の私の夢です」。
礼子さんの投稿を読み、ホームページを管理している和田好司さんは驚いた。六七年に商船三井のスチュワーデスとして、あるぜんちな丸に同船していた山添洋子さん(京都在住)から、富田さん一家の出来事を聞いていたからだ。
以降、和田さん、礼子さん、美代恵さん、山添さんや同船者仲間、トメアスー在住者も加わり、「投稿の話」は膨らんだ。遺児三人の現状、あるぜんちな丸での敏子さんの様子、現在のトメアスーなど、それぞれの知る情報を互いに書き込んだ。
礼子さんは「つい軽い気持ちで開いたページがまさかこんなに深い出会いに繋がるなんて」と感激を話し、「幼かった私たち兄弟は、両親の生き様を知ることもなく、ただ手元に残されている写真だけでした」「顔も声も知らなくて(中略)当時の話も本当に知りたくて、両親を少しでも知っている人に会いたくて仕方ありませんでした」。
敏子さんの遺骨は、何年か前に裕之さんが栃木県にある墓へ持ち帰ったが、昭一さんの遺骨は、今もトメアスー北部の市営墓地に眠っている。
美代恵さんは「母は一人、淋しく逝ったのだという想いがありましたが、あれだけ沢山の人々に携わって頂いていたのですね(中略)。亡き両親、亡き移住者全ての方々の慰霊供養という想いを込め、姉と一緒にブラジルに行けたらと願っています」と話している。
『私たちの四十年』のホームページアドレスは、http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/index.php。ポルトガル語版も整備されている。
By babehattori • 生活 • 0